スワヒリ文化の成立~東アフリカ沿岸部で醸成されたスワヒリの世界~



スワヒリ社会では昔から巻き布が大人気!?

スワヒリ社会では昔から巻き布が大人気!?

カンガは、もともと巻き布として発展してきました。現在ではさまざまな生活シーンで使われていますが、モンバサのスワヒリ文化研究者はカンガを巻き布以外で使用することは邪道だと話します。

さて・・・。

ではスワヒリ社会の人々は、どんな衣服を着ていたのでしょう。モンバサやキルワなどで栄えたスワヒリ都市国家を訪れた人々の記録から辿ってみることにしましょう。

まず、16世紀初頭にポルトガル軍に同伴して東アフリカを訪れたバルボザの記録によれば、キルワの男性は絹・木綿に金などをあしらった豪華な衣服を纏い、女性も同様に豪華で金や銀、宝石などで木綿布を飾っていたそうです。

モンバサでは、女性たちは絹布や金をあしらった綿布をまとったり、マリンディでは男性がマントと腰布を着用したりターバンを巻いたり、あるいは下半身を綿布や絹布で覆っていました。また、別の記録ではキルワの奴隷は綿布だけを纏い、奴隷の所有者は2枚の綿布を身に着けていることや、モンバサでは支配者層の男性がガウンやターバンを着用していることなどが記録されています。これらの記述から推定しますと、当時のスワヒリ都市社会に暮らす男性は2枚の綿布や絹布を用い、立場や状況によりガウンやターバンなどを着用し、女性は複数の絹布や綿布を纏い、金や銀の装飾品を装着。また、下層民や奴隷は綿布だけを着用していたことと考えられます。

こうした記述を見ると15~16世紀にはすでにカンガと同じように布を巻く習慣があったと思われます。また、イスラームの普及につれて布をまとう習慣が広まったと考えますと、さらに早い時代から巻き布が使用されていたことが推定されます。

スワヒリ社会において衣服はステイタスや身分を示す重要なエレメントで、より華やかで豪華な衣装を着ることは富と社会的地位の象徴であったのでした。そしてより都会的・文化的であることの証でもあったのです。

こうした布は、実は東アフリカ沿岸各地で生産されていました。綿の栽培も行われていて、15世紀頃の布の主な生産地はマリンディ、モンバサ、パテ島、キルワ、スファラ、キリンバなどでした。パテ島ではなんと中国やインドからもたらされた絹製品の糸を解いて自分たちの美的価値に合う独自の布もが織られていたのです。このパテ島産の布は最も良質で価値が高く、王家の人々に人気があったそうです。

東アフリカ各地で独自の布が生産される一方で、インド北西部のカンベイやディウ、スラートからは大量にインド産の織物製品がもたらされており、金や象牙、奴隷などと交換されていました。インドの布も大人気で、モンバサの商人たちはカンベイ以外の布には見向きもしなかったそうです。

スワヒリ社会は着倒れ文化だったのかもしれませんね。

その後19世紀の衣装についてはまた次回。