これまでほとんど知られていないことですが、カンガは日本ととても深い関係があります。

というのも、日本で制作、東アフリカに輸出していた時代があります。

 

ここでは、簡単に日本との歴史を記しておきましょう。

 

最初に日本で生産、輸出を開始したのは西澤八三郎商店(現・株式会社西澤)で、1928年から始まりました。

西澤八三郎商店は創業者西澤八三郎氏の、綿布輸出によって貿易立国の一翼を担おうとの信念のもと、1915年に個人商店として設立されました。

西澤八三郎氏は、綿布の中でも特に捺染綿布に着目し、日本製布株式会社や日本型染会社などの協力によって製作された捺染綿布を、外国商社や華僑など通じて天津や青島、満州などに輸出、上海へは直接販売していました。

西澤商店では、創業時より、「他人の真似をせず他人にも真似されないものを作る」という精神で、相手の土地に最も適した商品を提供するというのが企業方針でした。

カンガについても東アフリカに伝わる古くからの民族衣装であるということがわかり、研究開発に着手。クリエイティブ精神あふれる企業姿勢でカンガを開発していったのです。

 

カンガは46×66インチという製品規格であったためそれを製作するためには、円周が66インチの銅ローラーが必要でした。

ですが、日本にはまだその大きさのローラーがなかったため、住友伸鋼所(現・住友金属工業)に特注し、日本製布株式会社(後に東洋染色、その後東洋紡績が吸収)とともに1~2年の歳月をかけて研究開発をしました。

捺染を担当した日本製布株式会社は、当時、機械捺染機12台のほか、生地の精錬・漂泊機械やロール彫刻部も備え、当時の日本では最も大規模で最先端の技術を擁する染色工場でした。

 

研究を重ねて開発された日本製カンガでしたが、表裏の区別がなかったヨーロッパ品と比較すると、最初は、裏までは捺染されておらず当初の品質は劣っていたようでした。

カンガは、裏から見ても表と同じようにしっかり染色されていることが、品質的に重要なポイントなのです。

ただ 日本品はヨーロッパ品と比較すると安価でした。

その後、品質改良やデザイン研究がなされ、1930年代後半には品質がかなり向上してきたと記録されています。

その後、日本からのカンガの輸出は戦時体制が敷かれる中1939年で一時ストップしました。