先日、といってもひと月前のことですが、
会期ぎりぎりで「アレワ紡の時代」展に行ってきました。
展示は、エントランスホールと小さな展示室のみで展開されていましたが、
なかなかに興味深いものがありました。

アレワ紡績は1965年日本人スタッフ35人、現地従業員80人くらいでスタートし、
日本のODA的支援を経て規模を拡大。1970年代後半には現地従業員4000人となり、
24時間3交替制でアフリカンプリントの製作に取り組んでいたそうです。1960年代後半、ナイジェリアではビアフラ戦争があり、当時、現地に赴任していたスタッフやそのご家族はどのような想いで過ごしていたのでしょう。
今でこそ、インターネットやメールなどがありますが、当時は日本との連絡にもご苦労なさったと想像します。
展示はアレワ紡績で作っていたアフリカンプリントはじめ当時、現地で収集した他社の布もありました。
また、現地での暮らしぶりがわかるような展示品もありました。
アレワ紡績で作っていたアフリカンプリントには、
「アレワビューティー」と呼ばれる女性のシールがブランド目印として張られていたそうです。
この女性のブランドシールを張る、というのは、当時、流行っていたのでしょうか。
実は1960年代頃、日本で作って東アフリカに輸出していたカンガの中にも、
丸紅が輸出していたものには、「丸紅美人」というシールが貼られていました。

 

このシール、もっとさかのぼれば、 大正期から昭和初期、
日本からアフリカに輸出していた無漂白綿布にも各ブランド名をイメージするものが張られていたようです。
今も、アフリカンブリントには、べったりとシールが貼られていて
それがなかなか取れずに難儀しますが、長い歴史があるものだったようです。