前回は世界のカンガについて述べましたが、今回は、日本のカンガについてお話しましょう。
実はカンガの歴史上、日本はとても重要な役割を果しています。
20世紀前半、カンガはイギリスやオランダで多く作られていましたが、日本はなんと1928年からカンガを生産、東アフリカに輸出しています。
日本でのカンガ生産・輸出の先駆者となつたのが、西澤八三郎商店(株・西澤)。
西澤八三郎商店は、いち早く捺染の輸出に着目、中国や東南アジアに販路を広げ、さらに東アフリカへまで市場を拡大していきました。
創業者である西澤氏は、どこにも負けない製品を作ろうという気概に満ちた企業家精神でカンガの研究開発を続けたそうです。
第二次世界大戦によってその間は、輸出が途絶えますが戦後まもない、まだ米国統治下にあったころからカンガの生産・輸出を再開。
東アフリカだけでなく西アフリカへも大量のアフリカンプリントを輸出、アフリカは国内綿産業の三大消費地として重要となりました。
ナイジェリアなどには日本の染色工場の技術者が赴き、アフリカンプリント生産の基礎を築いたという歴史があります。
さて。
このようにカンガは戦後の高度成長期、東アフリカに輸出されていましたが、実は、日本国内でも、使用された例がこれまで2例ほど見つかっています。
ひとつは、パッチワークされてコタツ布団のようになったもの。
これは、名古屋の大須での骨董市で売られていたものですが、カーキのような生地にカンガの12分の1サイズのものがパッチワークされて作られています。
おそらくここに使われているカンガは、カンガの新作のサンプル見本が利用されたものだと思われます。
通常カンガサンプルは、12分の1の大きさのものを重ねて上部分を閉じて見本とするため、また、同柄の色ちがいのものが使用されていることからもサンプルが流出したものと思われます。
これは数年前、千葉の博物館で開催された「布の力」という展覧会で見ました。
こども用の半纏の裏地に,はっきり見えていたのはまぎれもないカンガセイイング。
私はすぐに学芸員さんに尋ねましたが、学芸員さんはカンガのことなどまったく気にも留めなかったそうです。
で、この半纏は東北の古い家からでてきたものだとか。
もちろんどういう経緯でカンガが東北の家にたどりついたか不明ですが。
これもきっと不用になったサンプルが流出したのでしょうか。
はたしてこの半纏をつくろっていたお母さんは、カンガの文字をどう見ながらちくちくしていたのでしょうね。
不思議です。
カンガには本当にいろいろな歴史があって、奥が深いですね。